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2009年6月27日 (土)

BONANZA A36

6人乗りの高級自家用機、ボナンザA36の写真です。

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駐機場でエンジン始動!

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滑走路上をローパス!
このときの速度は165ktほどだったそうです。

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タッチアンドゴー。
コパイ席からもこっちを撮っています。

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エンジンはコンチネンタルの6気筒。
燃料は食いますが速度も速いです。

今日は晴れていたものの、視程が非常に悪く、飛んでいても水平線が見えずに殆ど計器飛行状態でした。

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2009年6月11日 (木)

ひこうせん

先月のことですが、飛行中に飛行船「ツェッペリン」と遭遇しました。

Hi3a00391
前方に白い飛行物体を発見!
左側の黒い帯はプロペラです。この時はカメラを持っていなかったので携帯電話で撮影しました。電子シャッターの加減でこんな風に写るのだと思いますが、なんでこんな風になるんでしょうね?

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富士山と飛行船。
右上の汚い影は自機の主翼の付け根です。

Hi3a00421
近づき過ぎないように旋回して斜め後方を撮影。
前の写真での飛行船の位置と比べると、結構のんびり飛んでいるようでした。
高度は、おそらく1,000ftぐらいではないでしょうか。
豊橋市を離陸して桶川に向かっている途中だったみたいです。

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2009年6月 5日 (金)

静岡空港のスポット

6月4日に静岡空港が共用開始となりました。

斉藤前静岡県知事の時に構想が持ち上がり、自衛隊の浜松基地・静浜基地との官民共用を含め、いくつかの候補地がありましたが、諸条件を考慮して浅羽地区と牧之原地区に絞られ、現在地の牧之原地区に決定したのは斉藤前知事の「鶴の一声」だったとも言われています。
そもそも静岡県には新幹線の駅が6つもあり、東名高速道路に加え第2東名高速の建設も決まっており、空港不要論も根強くありました。
十分な議論も無く建設予定地が決定し、空域調整では滑走路の方位をずらすことで反対していた自衛隊もしぶしぶ合意。当初から空港建設は難題続きでした。
地主の側にしたら、突然飛行場建設が決まり、県は「土地を売れ」という。売らなかった土地は「強制収用」そりゃあ反対もするでしょう。
以前の記事にも書いた70年前の大日本帝国海軍による大井航空隊建設と状況は同じ。お役人のやることは何年経っても変わらないようです。

でも、私たちの税金を1900億円もつぎ込んで作ってしまったからには有効に使わなければなりません。
静岡空港の駐機場には5つの駐機スポットがあります。旅客機の大型機用2つと中型機用3つ。5月7日のAIPにはそれしかなかったんですが、6月4日のAIPでは飛行場図が修正されて小型機・ヘリコプター用のスポットが5つ書き加えられました。
もちろん、エプロン(駐機場)が広げられたわけではなく、西端のNo.5スポットの上に重ねてNo.5A-1からNo.5A-5までの駐機スポットが点線で描かれています。
小型機も受け入れる気になったようで、ひとまず安心ですな。

あ、別に県を批判するつもりは毛頭ありません。空港問題で引責辞職した石川知事が開港記念式典にのこのこ出てきて挨拶したのはどうかとは思いますが・・・・・恥ずかしくないんでしょうか?
(やっぱ批判なのかなあ?)

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2009年6月 3日 (水)

明野飛行学校分教場

静岡県の失われた飛行場第2弾!

「明野飛行学校」というのは、三重県にある陸上自衛隊の明野駐屯地に置かれていますが、戦前には日本陸軍の戦闘機を中心とした「陸軍明野飛行学校」がありました。
陸軍は支那事変以降、大量の戦闘機操縦士を養成するため、静岡県の竜洋町と富士川河口に分教場を建設しました。

Ryuyo1946
1946年5月22日。米軍撮影の航空写真。(国土地理院HPより)
竜洋分教場には1600m滑走路2本と4つの格納庫・兵舎・射撃場などがあったそうです。
写真は終戦1年後ですが、もう滑走路は耕されています。
東を大きく蛇行する天竜川の支流にもビックリですが、今は埋められて住宅地になっていますね。
飛行場の南側は工業団地に、海岸付近はスズキ自動車のテストコースになりました。

Dscf1729
格納庫の基礎の一部が残っていて、「袖ヶ浦公園」として整備されています。

Dscf1743
公園内には、航空自衛隊から貸与された「F86セイバー」が展示されています。

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東側の格納庫跡には農協の倉庫が建てられています。

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かつて駐機場があった辺りにはひび割れた古いコンクリート舗装がありますが、当時のものか戦後舗装したものかは判りません・・・・

Dscf1727
滑走路跡は一面の田んぼと畑。
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戦前からある神社に建てられた「開拓之碑」
飛行場は昭和14年の建設から昭和20年の終戦まで使われ、戦後は開拓団により滑走路は耕作地に、基地建物跡は住宅地に開発されました。

Fujigawa1946
こっちは富士川河口東岸にあった分教場。(と、思われる・・・)
これも1946年5月22日の撮影です。この辺は行ったことがないので、当時の遺構が残っているかは不明です・・・・・

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