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2012年2月22日 (水)

鳥人・幸吉

初めて飛行機で空を飛んだ人として有名なのは「ライト兄弟」ですね。
その兄弟が参考にしたのがドイツ人「リリエンタール」のグライダーです。
それまでも空を飛んだと主張する人が何人かいたようですが、どれも羽ばたき翼によるもので、飛行とは言い難いものだったようです。
リリエンタールは、羽ばたきを止めて、トンビが滑空するように固定翼を使ったことが成功の要因でした。今で言うハンググライダーです。

ところで、日本でも江戸時代に飛んだ人がいるという話を聞いたことがあるでしょうか。
1757年、備前の国八浜に生まれた表具師の幸吉です。
彼は1785年に竹や木の骨組みに紙を張った固定翼を作って、旭川付近の家の屋根から飛び立ち、川原で夕涼みをする人々の上を飛んで見せたそうです。リリエンタールが滑空飛行に成功する108年前のことです。
川原は大騒ぎとなり、幸吉は人々を騒がせた罪で捕らえられ、備前の国を追放されてしまいます。

その後、駿府の江川町に移り住み、備前の物産を売る店を営んでいましたが、再び翼を作って安倍川の川原で飛んだそうです。
またもや幕府に咎められて追放され、遠江の国の国府であった見付(現磐田市)に移り住み、備前屋という飯屋を開き、結婚して子供も持ったとされています。
1847年、幸吉は91歳で亡くなったとされ、見付の大見寺に保管されている過去帳にも「演誉清岳信士」という戒名と「八月二十一日 備前屋 幸吉」と没年月日が書かれているようです。

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幸吉のお墓。普通に並んでいます。

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本堂の天井には、幸吉が飛んだ翼の想像模型が吊るされています。

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本堂の全景。由緒あるお寺のようです。

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お寺は、元々、室町時代に今川氏が築いたお城だったそうです。
見付端城と言って、お寺があるのは本丸があった場所で一部当時の土塁が残っています。画面右奥に公民館が写っていますが、この公民館は二の丸跡に建てられたそうです。

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旧東海道からお寺に入る入り口付近にはこんな物も建っていました。

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2012年2月19日 (日)

緑十字機の燃料タンク

平成23年7月に遠州灘で見つかった一式陸上輸送機(緑十字機)の燃料タンクの特別展示を見に行ってきました。

この飛行機は、ポツダム宣言受諾後に日本帝国代表団が連合軍との話し合いのため、フィリピンのマニラまで往復した時に使われたもので、木更津から沖縄の伊江島までの行程を往復する予定でした。ところが、帰路の途中、遠州灘上空で燃料切れとなって鮫島海岸に不時着してしまったそうです。
東向きに海上に着水した機体は、左翼を砂浜に引っ掛けて回転し、機首を砂浜に乗り上げて北を向いた状態で停止したそうです。後部乗降ハッチは波にさらわれる状態でしたが、全員助かったようです。
政府代表団はトラックで浜松飛行場まで行って東京まで飛行機で飛んだそうですから、まだ浜松にも飛べる飛行機があったんですね。

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特別展示全景

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長いこと海中にあったにしては良く残っています。

この写真ではよく判らなくなってますが、一部ジンクロ塗料も残っているようです。66年の時を越えて見つかった部品。見た目はただのガラクタですが、終戦処理という難題に携わった貴重な飛行機の残骸です。その後、この一式陸輸の機体は台風で海中に没したそうなので、今でもそのまま沈んでいるのかも知れませんね。

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緑十字機の模型

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どこから持ってきたのか、機器類も展示されていました。

このタンクは、今後とりあえず磐田市の文化財センターの倉庫で保管されるそうですが、その後どこかで展示されるかは決まっていないそうです。

以下、説明パネル。

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2012年2月 7日 (火)

プハッチ君

ちょっと仕事が忙しくて間が空いてしまいました。
久々のグライダーです。


ウインチ曳航による離陸です。
あっという間に1,200ftの上空へ。




そして着陸。
この日は3回飛んで1回滞空。
曇ってしまいましたが、暖かくて過ごし易かったです。
(FINEPIX F550)

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